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Channel: 平御幸(Miyuki.Taira)の鳥瞰図
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平御幸のデッサン講座〜第7回 センスの嘘

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 絵を描くことに尻込みする人の大半は、自分には絵心がないと信じています。別の言葉では美術的センスです。しかし、僕はこの言葉は嘘だと思っています。なぜかと言うと、僕が浪人して新美に入った時に、武田先生から「色感が悪い」とか「感覚がない」とか言われ、日本画の16人中の最下位も何度もあったからです。

 このように言われると大抵の人は凹みますが、僕は神の声が聞こえるので、黙々と自分の絵の完成を目指しました。もちろん、欠点は欠点として認識するのは当然です。そして、夏期講習の後で、隣の代々木ゼミナールから生徒が何人か移って来ました。新美のデッサンの評判を聞いて、石膏デッサンを学びに来たのです。ちなみに、代々木は芸大の平山教授が先生を送り込んでいた私塾的な性格もありました。その割には合格率が低かったですけど。

 それで、代々木から来た一才年上の佐々木という人が、僕の着彩を褒めるのです。新美の評価とは正反対です。更に、秋になると芸大大学院の現役学生が、実戦用の先生にとしてやって来ました。要するに、芸大に絞った傾向と対策と情報集めの要員です。この先生も、代々木から来た生徒と同じく褒めるのです。そして試験前にはとうとう、先生から僕が入りそうだと名指しされたのです。何のことはない。僕の絵は試験向きだったのです。

 この年には、新美に見切りをつけた何名かが、試験直前に代々木に移っています。節操無いですが、この移った連中は合格しました。移らないで合格したのは、順番が低い生徒ばかりでした。新美の優等生は嫌われたのです。僕は着彩の試験で、指が全く動かなくなり、実力の半分も出せませんでした。見えざる神の手ですね。実際、僕はやり残したことがあったので、もう一年の浪人生活はラッキーでした。

 それで、センスの話に戻しますが、畑違いの考古学者は絵の上手な人が多いのです。少なくとも、芸大の芸術学部の連中よりは達者です。ツタンカーメンの墓を発掘したハワード・カーターは、実に詳細な記録を描いて残しています。ここから、絵の上手い下手は、仕事で必要とされるかどうかで決まるといっても過言でないのです。毎日描いていたら上達します。

 しかし、色弱や色盲はどうしようもありません。緑の変化が少ないとかの色弱気味なら芸大に入れますが、強度の色弱では無理です。また、脳の欠陥で形が取れないとか、手に汗をかく体質で木炭デッサンが出来ないなどの、肉体に由来する欠陥は改善が難しいです。

 色に関して言えば、色彩心理学の応用で改善できます。色は霊の病気の度合いを表すので、霊を清めて、霊の糧となる生活を続ければ良いのです。色は色の道ですから、男女関係にだらしないとかは、すぐに表に出ます。清い人は色も清いのです。

 余談ですが、面白い話を一つ。聖書にも度々登場しますが、封建時代に王様に仕えた家臣には、処女を集めるという難題が申し渡されることもありました。自己申告は通用しません。処女でなかったら首が飛ぶのです。これらの不幸な家臣たちは、どのようにして処女を見分けたのでしょうか?乱暴なことはしないで、庭先から馬を眺めるように処女を見極めたのです。

 僕は、何かの雑誌で読んだ記憶があるのですが、この見分け方は当たっていると思います。観察する時に、乙女の目と首を見るようです。と書けば、好奇心から答えを推理して書き込む人がぞろぞろと出そう。その好奇心を、絵を描く方に向ければ上達します。退屈は猫をも殺すらしいですが、好奇心は上達の母なのです。そういえば、昔に「私は好奇心の強い女」というタイトルの映画があったような。

 絵は、霊格や性格を映す鏡ですから、取り繕っても誤魔化しは効きません。ジブリの絵ですら、最近の作品は気持ち悪いのです。だから、センスがどうのこうのではなく、霊格を高める修行と位置付けることで、結果的に良い作品を残すようになるのです。もちろん、絵が変われば、副次的に服装のセンスも変わります。自己表現という意味では、絵もファッショんも一緒なのですから。

     エフライム工房 平御幸

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