聖骸布からイエスの顔を復元するという動画を見て、多くの疑問が生じたので分析することにしました。
実は、僕は一年前から寝てパソコンを操作しており、頭は少し高く、膝を曲げて、ちょうど聖骸布に包まれたイエスと同じ姿勢を余儀なくされていました。しかし、僕は聖骸布には全く興味がなく、頭から捏造品と決めつけていたので、今回の復顔作業はとても新鮮に見えました。でも、先に述べたように疑問だらけ (;^ω^)
まず、イエスは聖骸布に包まれる前に体を香油で拭かれています。人の血液はすぐに凝固するし、死んだら出血もなくなるので、拭われた後も布に付着するほど出血が続いていたとは考えられません。鮮明な血痕があるのが変なのです。
次に、分析チームは、スキャナーの原理で顔が布に転写されているから顔の幅が狭くて当然と決めつけています。しかし、イエスを包んだ聖骸布は体や頭部の形に合わせて複雑な皺を作り、脚や腕や腰の側面も密着していたはずです。なのに、平らな棺桶に被せた布のように、都合よく底板と上蓋に面する布にだけ転写された。しかも、何故かネガとして。ありえません。
このような平らな棺を覆ったのなら皺の影響は排除できる
実際はこれらのように包まれるので布は複雑な皺で平面は確保できない
分析チームは、転写されている像を三次元に置き換えるという新機軸をもたらしました。しかし、単純な三次元化では火星の人面岩のようなものしか復元できていません。これから、分析の邪魔になる皺や汚れや傷跡を取り除いて、彼らにとって最もユダヤ人顔に近い顔に作り上げています。データの入れ方一つで激変するのだから、この最終結果も信用できません。しかも、使っているソフトは1980~90年代の古いもののはず。
単純な三次元化した画像。ここから無理やり復元するのはもはや創作 (^_^;)
読者のコメントにもありましたが、イエスをかけた十字架は日本にあります。聖骸布だけ置き去りにしてきたのはありえないのです。ここで問題になるのは、トリノに来る前の持ち主。
聖骸布は移動を繰り返してきましたが、1578年にトリノに来る前は、スイス国境に近いシャンベリーのサボイア家にあり、その前がフランスのリレのシャルニー家の所有。1353年の記録が残っているようですが、ここから前は十字軍のテンプル騎士団が関わっているようです→聖骸布の年表。
テンプル騎士団というと、聖杯伝説を利用して金を集めたイメージがあります。聖墳墓も、聖槍も、すでに昔から発見とかの政治利用がされており、残る聖遺物は聖杯しかなかったからです。ちなみに、ヒトラーも執着した聖槍は神聖ローマ帝国のもので、ロンギヌスではなくローマ軍隊長モーリスのものであったらしい。モーリスは札幌記念で負けましたが (;´Д`)
テンプル騎士団が異端審問で有罪になり、総長ジャック・ド・モレー(Jacques de Molay)と幹部のシャルニーも火炙りで処刑されたのが1314年。この39年後にフランスのリレのシャルニー家から聖骸布が発見されました。そして、聖骸布の人物は最後の総長モレーに瓜二つ→こちら。何かありそうですね (;一_一)
聖骸布の人物は2mを超えるのですが、研究者はデカすぎと思ったのか、183~180センチとしているようです。ところが、これが瓜二つのモレーと同じ身長です。聖骸布の人物はマッチョで、重い鎧を着て闊歩する軍人の体形です。日頃から鍛えてないとマッチョにはなりません。また、マッチョはイザヤ書に預言されたイエスの容姿とも異なっています。
イザヤ書 第53章 2~3
「彼にはわれわれの見るべき姿がなく、威厳もなく、われわれの慕うべき美しさもない。彼は侮られて人に捨てられ、悲しみの人で、病を知っていた」
救世主はダビデのように強い王というのが当時に求められていた一般的なイメージ。ところが、イザヤはイメージを覆しています。新約聖書でも、イエスはロバの子に乗ると描写され、180センチを超える大男なら、しかも聖骸布の人物のように足の長い大男なら、子ロバにまたがった足が地面についてしまいます→ロバの子がいかに小さいか分かる。
ゼカリヤ書 第9章 9
見よ、あなたの王はあなたの所に来る。彼は義なる者であって勝利を得、柔和であって、ろばに乗る。すなわち、ろばの子である子馬に乗る。
ヨハネによる福音書 第12章 12~15
その翌日、祭にきていた大ぜいの群衆は、イエスがエルサレムにこられると聞いて、しゅろの枝を手にとり、迎えに出て行った。そして叫んだ、ホサナ、主の御名によってきたる者に祝福あれ、イスラエルの王に。イエスは、ろばの子を見つけて、その上に乗られた。それは「シオンの娘よ、恐れるな。見よ、あなたの王がろばの子に乗っておいでになる」と書いてあるとおりであった。
聖骸布から復元したムキムキの立体像 Σ(・∀・|||)ゲッ!!
頭が小さくて指が二倍も長く、バランスが悪くてデッサンが狂っている
聖骸布の人物はモレーで間違いなく、問題は作成方法と布の年代ということになります。
聖骸布の布はエルサレム周辺でしか咲かないグンデリアアザミの花粉が付着していました。グンデリアアザミの開花は3月からなので、イエスの磔刑の時季にも重なります。しかし、先に書いたようにテンプル騎士団が関わっていたら、テンプル騎士団がエルサレム周辺で墓暴きをして、イエスと同時代の春に死んだ人物の墓から亜麻布や麻布を奪うことは簡単なのです。
聖骸布は杉綾織と呼ばれる高度なもので、独特のギザギザ模様は綾織りの中でも3枚斜紋織(3 harness twill・3枚あや)と呼ばれるものだと思います。聖骸布は経糸が二重ですが。日本の正倉院にも古代の綾織りが保管されています。この杉綾織がイエスの時代にあったという確証は得られていません→こちら。綾織り自体は紀元前のエジブトにも見られますが→織り方の基本。
トリノの聖骸布はネガになっています。だから、レオナルド・ダ・ヴィンチがカメラ・オブスキュラの技法を使って作ったという説も出てくるのですが、学者という生き物は本当に頭が固い。レンズや巨大な暗室がなくても、ネガ像は作れるのです。その方法はいたって簡単。日光写真の原理です (;^ω^)
まず、聖骸布と同じ寸法の紙にポジで人物を描きます。これは太陽光線を吸収する性質の顔料ならベター。陰影は付けないで濃淡だけ。これをエルサレムから奪ってきた布に重ね、太陽光線に1ヶ月も晒したら、顔料の塗ってない紙の下の布は日焼けして薄い茶色になります。あとは適当に血を塗れば出来上がり。
聖骸布以前から、絵に描かれるイエスの顔は鼻が細長くて寄り目ばかりです。手の指も長い。実はこれ、デッサン力のない下手な絵描きに共通する癖でしか無く、飛鳥昭雄氏の描くノストラダムスも鼻が細長くて寄り目です。手は小さいですが、これは彼独特の癖です。
テンプル騎士団は、昔に作られた偽物の聖骸布を手に入れた。1193年ごろに書かれたプレイ写本に出てくる聖骸布です。しかし、その出来は悪く、大々的に公開して聖骸布で資金集めするには無理があった。そこで、いかにも本物風の聖骸布を作ることにした。写本に見える焼けた穴も再現して。モデルは総長のモレーで決まり。
これがフランス王フィリップ4世の耳に聞こえ、フィリップ4世は異端審問を開いて有罪とした→モレー。フィリップ4世の治世を見ると、テンプル騎士団の資金を奪うために潰す人ではないように思えます。むしろ名君として評価が高いし。
聖骸布が偽物であるとする根拠は以上ですが、そもそも僕は聖骸布の人物に特別な何かを全く感じないのです。長くて細い鼻も嫌いだし、寄り目も嫌い。イコン他に描かれるイエスの顔は軒並み嫌いなのです。
モルモン教で飾られるイエスの顔もトリノの聖骸布から来ています。飛鳥氏が使う復顔したイエスの顔もトリノの聖骸布から。古くは、レオナルド・ダ・ヴィンチ他も、この聖骸布の人物に似せてキリスト像を描いているようなのが困りもの。もっとも、似せるように依頼されたとは思いますが。
最後の晩餐のイエスは似ていませんが、モナリザの途中の顔は聖骸布の人物に似ています。それから上塗りして聖骸布の人物を否定し、最終的にレオナルド・ダ・ヴィンチ自身に似せたようですが、モナリザのオリジナルはラファエロが模写した全く別のものだと思います。レオナルド・ダ・ヴィンチは、死ぬまでイエスと自分の関係や葛藤をモナリザの中に詰め込んだ。それがモナリザの不思議な表情の理由だと思います。
モナリザ
光学処理で分析
隠れていた古いモナリザはイエスに似ている
ラファエロの模写(これがジョコンダ婦人)
最近発見されたレオナルド・ダ・ヴィンチ作サルバトール・ムンディ(救世主)
1500年頃の制作で聖骸布の影響を受けている
なお、コンスタンティノポリで1212年以前に描かれた、フランスのシャンティリ市所蔵のインゲブルグ写本があります→こちら。シャンティリ=Chantilly(シャンティイ)なので、凱旋門賞に挑戦するマカヒキの走る競馬場と同じシャンティイ。9月11日に前哨戦のニエル賞に出ます。例年のロンシャン競馬場が改修で、今年だけシャンティイというのも、神が僕に聖骸布の謎解きをさせるためだったんですね (^m^)
インゲブルグ写本
参考 ダビンチと聖骸布+謎のイエスキリスト
https://www.youtube.com/watch?v=n6_CZBKSbaY
6日 追加
聖骸布の花粉について、世界中の花粉が発見されたという情報があり、それなら十字軍とは関係なく、現代に世界中で秘密に展示会が開催されていたことになります。それなら布も中世の作で説明がつきます。
また、エルサレムの洞窟で発見された墓から、イエスの時代の麻布も見つかっているので写真を追加します。やはり、織り方が単純な綾織りですね。
新発見の埋葬布、トリノ聖骸布は不利に
http://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/article/news/14/2079/?ST=m_news
「トリノの聖骸布」の謎、深まる ― 世界中の植物のDNAが付着!
http://tocana.jp/2015/11/post_7833_entry.html
エフライム工房 平御幸
実は、僕は一年前から寝てパソコンを操作しており、頭は少し高く、膝を曲げて、ちょうど聖骸布に包まれたイエスと同じ姿勢を余儀なくされていました。しかし、僕は聖骸布には全く興味がなく、頭から捏造品と決めつけていたので、今回の復顔作業はとても新鮮に見えました。でも、先に述べたように疑問だらけ (;^ω^)
まず、イエスは聖骸布に包まれる前に体を香油で拭かれています。人の血液はすぐに凝固するし、死んだら出血もなくなるので、拭われた後も布に付着するほど出血が続いていたとは考えられません。鮮明な血痕があるのが変なのです。
次に、分析チームは、スキャナーの原理で顔が布に転写されているから顔の幅が狭くて当然と決めつけています。しかし、イエスを包んだ聖骸布は体や頭部の形に合わせて複雑な皺を作り、脚や腕や腰の側面も密着していたはずです。なのに、平らな棺桶に被せた布のように、都合よく底板と上蓋に面する布にだけ転写された。しかも、何故かネガとして。ありえません。
このような平らな棺を覆ったのなら皺の影響は排除できる
実際はこれらのように包まれるので布は複雑な皺で平面は確保できない
分析チームは、転写されている像を三次元に置き換えるという新機軸をもたらしました。しかし、単純な三次元化では火星の人面岩のようなものしか復元できていません。これから、分析の邪魔になる皺や汚れや傷跡を取り除いて、彼らにとって最もユダヤ人顔に近い顔に作り上げています。データの入れ方一つで激変するのだから、この最終結果も信用できません。しかも、使っているソフトは1980~90年代の古いもののはず。
単純な三次元化した画像。ここから無理やり復元するのはもはや創作 (^_^;)
読者のコメントにもありましたが、イエスをかけた十字架は日本にあります。聖骸布だけ置き去りにしてきたのはありえないのです。ここで問題になるのは、トリノに来る前の持ち主。
聖骸布は移動を繰り返してきましたが、1578年にトリノに来る前は、スイス国境に近いシャンベリーのサボイア家にあり、その前がフランスのリレのシャルニー家の所有。1353年の記録が残っているようですが、ここから前は十字軍のテンプル騎士団が関わっているようです→聖骸布の年表。
テンプル騎士団というと、聖杯伝説を利用して金を集めたイメージがあります。聖墳墓も、聖槍も、すでに昔から発見とかの政治利用がされており、残る聖遺物は聖杯しかなかったからです。ちなみに、ヒトラーも執着した聖槍は神聖ローマ帝国のもので、ロンギヌスではなくローマ軍隊長モーリスのものであったらしい。モーリスは札幌記念で負けましたが (;´Д`)
テンプル騎士団が異端審問で有罪になり、総長ジャック・ド・モレー(Jacques de Molay)と幹部のシャルニーも火炙りで処刑されたのが1314年。この39年後にフランスのリレのシャルニー家から聖骸布が発見されました。そして、聖骸布の人物は最後の総長モレーに瓜二つ→こちら。何かありそうですね (;一_一)
聖骸布の人物は2mを超えるのですが、研究者はデカすぎと思ったのか、183~180センチとしているようです。ところが、これが瓜二つのモレーと同じ身長です。聖骸布の人物はマッチョで、重い鎧を着て闊歩する軍人の体形です。日頃から鍛えてないとマッチョにはなりません。また、マッチョはイザヤ書に預言されたイエスの容姿とも異なっています。
イザヤ書 第53章 2~3
「彼にはわれわれの見るべき姿がなく、威厳もなく、われわれの慕うべき美しさもない。彼は侮られて人に捨てられ、悲しみの人で、病を知っていた」
救世主はダビデのように強い王というのが当時に求められていた一般的なイメージ。ところが、イザヤはイメージを覆しています。新約聖書でも、イエスはロバの子に乗ると描写され、180センチを超える大男なら、しかも聖骸布の人物のように足の長い大男なら、子ロバにまたがった足が地面についてしまいます→ロバの子がいかに小さいか分かる。
ゼカリヤ書 第9章 9
見よ、あなたの王はあなたの所に来る。彼は義なる者であって勝利を得、柔和であって、ろばに乗る。すなわち、ろばの子である子馬に乗る。
ヨハネによる福音書 第12章 12~15
その翌日、祭にきていた大ぜいの群衆は、イエスがエルサレムにこられると聞いて、しゅろの枝を手にとり、迎えに出て行った。そして叫んだ、ホサナ、主の御名によってきたる者に祝福あれ、イスラエルの王に。イエスは、ろばの子を見つけて、その上に乗られた。それは「シオンの娘よ、恐れるな。見よ、あなたの王がろばの子に乗っておいでになる」と書いてあるとおりであった。
聖骸布から復元したムキムキの立体像 Σ(・∀・|||)ゲッ!!
頭が小さくて指が二倍も長く、バランスが悪くてデッサンが狂っている
聖骸布の人物はモレーで間違いなく、問題は作成方法と布の年代ということになります。
聖骸布の布はエルサレム周辺でしか咲かないグンデリアアザミの花粉が付着していました。グンデリアアザミの開花は3月からなので、イエスの磔刑の時季にも重なります。しかし、先に書いたようにテンプル騎士団が関わっていたら、テンプル騎士団がエルサレム周辺で墓暴きをして、イエスと同時代の春に死んだ人物の墓から亜麻布や麻布を奪うことは簡単なのです。
聖骸布は杉綾織と呼ばれる高度なもので、独特のギザギザ模様は綾織りの中でも3枚斜紋織(3 harness twill・3枚あや)と呼ばれるものだと思います。聖骸布は経糸が二重ですが。日本の正倉院にも古代の綾織りが保管されています。この杉綾織がイエスの時代にあったという確証は得られていません→こちら。綾織り自体は紀元前のエジブトにも見られますが→織り方の基本。
トリノの聖骸布はネガになっています。だから、レオナルド・ダ・ヴィンチがカメラ・オブスキュラの技法を使って作ったという説も出てくるのですが、学者という生き物は本当に頭が固い。レンズや巨大な暗室がなくても、ネガ像は作れるのです。その方法はいたって簡単。日光写真の原理です (;^ω^)
まず、聖骸布と同じ寸法の紙にポジで人物を描きます。これは太陽光線を吸収する性質の顔料ならベター。陰影は付けないで濃淡だけ。これをエルサレムから奪ってきた布に重ね、太陽光線に1ヶ月も晒したら、顔料の塗ってない紙の下の布は日焼けして薄い茶色になります。あとは適当に血を塗れば出来上がり。
聖骸布以前から、絵に描かれるイエスの顔は鼻が細長くて寄り目ばかりです。手の指も長い。実はこれ、デッサン力のない下手な絵描きに共通する癖でしか無く、飛鳥昭雄氏の描くノストラダムスも鼻が細長くて寄り目です。手は小さいですが、これは彼独特の癖です。
テンプル騎士団は、昔に作られた偽物の聖骸布を手に入れた。1193年ごろに書かれたプレイ写本に出てくる聖骸布です。しかし、その出来は悪く、大々的に公開して聖骸布で資金集めするには無理があった。そこで、いかにも本物風の聖骸布を作ることにした。写本に見える焼けた穴も再現して。モデルは総長のモレーで決まり。
これがフランス王フィリップ4世の耳に聞こえ、フィリップ4世は異端審問を開いて有罪とした→モレー。フィリップ4世の治世を見ると、テンプル騎士団の資金を奪うために潰す人ではないように思えます。むしろ名君として評価が高いし。
聖骸布が偽物であるとする根拠は以上ですが、そもそも僕は聖骸布の人物に特別な何かを全く感じないのです。長くて細い鼻も嫌いだし、寄り目も嫌い。イコン他に描かれるイエスの顔は軒並み嫌いなのです。
モルモン教で飾られるイエスの顔もトリノの聖骸布から来ています。飛鳥氏が使う復顔したイエスの顔もトリノの聖骸布から。古くは、レオナルド・ダ・ヴィンチ他も、この聖骸布の人物に似せてキリスト像を描いているようなのが困りもの。もっとも、似せるように依頼されたとは思いますが。
最後の晩餐のイエスは似ていませんが、モナリザの途中の顔は聖骸布の人物に似ています。それから上塗りして聖骸布の人物を否定し、最終的にレオナルド・ダ・ヴィンチ自身に似せたようですが、モナリザのオリジナルはラファエロが模写した全く別のものだと思います。レオナルド・ダ・ヴィンチは、死ぬまでイエスと自分の関係や葛藤をモナリザの中に詰め込んだ。それがモナリザの不思議な表情の理由だと思います。
モナリザ
光学処理で分析
隠れていた古いモナリザはイエスに似ている
ラファエロの模写(これがジョコンダ婦人)
最近発見されたレオナルド・ダ・ヴィンチ作サルバトール・ムンディ(救世主)
1500年頃の制作で聖骸布の影響を受けている
なお、コンスタンティノポリで1212年以前に描かれた、フランスのシャンティリ市所蔵のインゲブルグ写本があります→こちら。シャンティリ=Chantilly(シャンティイ)なので、凱旋門賞に挑戦するマカヒキの走る競馬場と同じシャンティイ。9月11日に前哨戦のニエル賞に出ます。例年のロンシャン競馬場が改修で、今年だけシャンティイというのも、神が僕に聖骸布の謎解きをさせるためだったんですね (^m^)
インゲブルグ写本
参考 ダビンチと聖骸布+謎のイエスキリスト
https://www.youtube.com/watch?v=n6_CZBKSbaY
6日 追加
聖骸布の花粉について、世界中の花粉が発見されたという情報があり、それなら十字軍とは関係なく、現代に世界中で秘密に展示会が開催されていたことになります。それなら布も中世の作で説明がつきます。
また、エルサレムの洞窟で発見された墓から、イエスの時代の麻布も見つかっているので写真を追加します。やはり、織り方が単純な綾織りですね。
新発見の埋葬布、トリノ聖骸布は不利に
http://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/article/news/14/2079/?ST=m_news
「トリノの聖骸布」の謎、深まる ― 世界中の植物のDNAが付着!
http://tocana.jp/2015/11/post_7833_entry.html
エフライム工房 平御幸