FET測定器を追加制作し、さっそく手持ちを測定してたら朝の6時。午前3時頃に時計を見た記憶があり、それから3時間も手間取ったことになります。FETは測定の仕方が二通りあり、今回製作したのはゼロバイアス時にドレイン電流の流れる大きさを測定する方。前回のは決められた電流を流して、ゲートに発生する電圧を測る方でした。
右の簡単な方が今回のIDSS測定器(電源はコードを差し替え)
昔のソニーのアンプに使われた2SK23Aの改良品、2SK107が手持ちであったので測定してみたら、個体差が小さくてペアがたくさん取れました。アンプ製作記事では見かけないので馬鹿にしていましたが、意外なところで思わぬ宝の山。これは買い占めないと (;^ω^)
ところで、僕が使っている湯呑茶碗は読者の御土産で、萩焼として知られているものです。これが実に不思議な茶碗で、裏切り者が出てくると教えてくれるのです。反逆者のユダを予言する茶椀ですね。
とは言っても、茶椀の質としてはろくでもないもので、まず粘土が均一でなくて斑(ムラ)があります。何故に分かったのかというと、この茶椀はすぐに欠けてしまい、釉薬の欠けた所から中の土が見えるからです。欠けた所の色が違う。まともな粘土を使っていたらあり得ないことです。斑があれば焼成時に割れる危険があるからです。
欠けたところの色が違う=粘土そのものか焼成温度の不均一
萩焼は釉薬が分厚くて、中の粘土が均一でなくても誤魔化せます。観光客用に手抜きで作った茶椀だと思うのですが、これが偶然にも中身の無い人間を教えてくれる事になります。この茶椀が欠けたのは都合三度。上から物が落ちてきたり、洗っていて手が滑ったりで、他の器に衝突して縁が破損。最近(昨秋)も上から丼が落ちて破損したばかりです。
この茶椀が破損する度に、SNSのメンバーが牙を剥いて反抗してきます。釉薬のようなきれいな顔をして、心の中は斑の粘土のように黒ずんだ者が、エクソシストに耐えられなくなって本性を剥き出しにしてくるのです。茶椀が欠けて中の斑の粘土が見える度に、僕はそろそろ裏切り者が出ると待ち構えているのです。
前にも書きましたが、映画のエクソシスト(悪魔祓い)のように、十字架を手にして悪魔に対峙するのは褒められたものではありません。もっとスマートに、エクソシストしていると気が付かれないようにやるのが良いのです。
スピーカーを作ったり絵を描いたりして、徐々に囲いを狭くして悪霊を追い込む。昨年6月の名古屋試聴会後に、古いメンバー二人がユダとなりましたが、どちらもコスモスのジークレーを購入しない=絵を恐れるという共通点がありました。心の綺麗な人には美しく見える絵が、心が醜いと恐怖の絵となるのです。
僕の絵のガラスを割ったのも二人でしたが、リンゴの絵のガラスが割れたのは、悪霊が逃げて行く時に悪さをしたからです。エクソシストが成功した知らせのようなものです。しかし、老梅のガラスが割れた方は、逆に悪霊からの挑戦状というか、地獄から逃がさない宣言のようなものでした。梅は、神がアダムに諭した「食べること毋(なかれ)」の木ですから、描かれた梅の木に蛇身を絡みつかせたのでしょう。蛇身は邪心で邪神。
サタンの出現を予言する茶椀も、相当にダメージがあります。何せ、ヒヨコの描かれたチキンラーメンドンブリが落ちてきたこともあるからです。この時はヒヨコがいなくなりました。
2番目に欠けた時は、吉の字のように「土の口」で黒い土が見えた。真っ黒な心の持ち主が、萩焼のように分厚い化粧の仮面を脱がされた時です。そして、最近のは茶椀全体にヒビが入るほどの欠け方。これは、予言する茶椀としては御役御免で、これ以上は仕事(予言)をする機会がないということだと思います。
神饌に供する器は古くは素焼きですけど、これは心を隠さないという意味で当然だと思います。白い神饌器は白釉がかけられたものではなく、磁器なので中の粘土も白なのです。陶器の素焼きと、磁器の白の違いということです。茶椀の欠けたところは金で接(つ)ぐとか、繕うのが良いのですけど、素人には難しいですね。
エフライム工房 平御幸
右の簡単な方が今回のIDSS測定器(電源はコードを差し替え)
昔のソニーのアンプに使われた2SK23Aの改良品、2SK107が手持ちであったので測定してみたら、個体差が小さくてペアがたくさん取れました。アンプ製作記事では見かけないので馬鹿にしていましたが、意外なところで思わぬ宝の山。これは買い占めないと (;^ω^)
ところで、僕が使っている湯呑茶碗は読者の御土産で、萩焼として知られているものです。これが実に不思議な茶碗で、裏切り者が出てくると教えてくれるのです。反逆者のユダを予言する茶椀ですね。
とは言っても、茶椀の質としてはろくでもないもので、まず粘土が均一でなくて斑(ムラ)があります。何故に分かったのかというと、この茶椀はすぐに欠けてしまい、釉薬の欠けた所から中の土が見えるからです。欠けた所の色が違う。まともな粘土を使っていたらあり得ないことです。斑があれば焼成時に割れる危険があるからです。
欠けたところの色が違う=粘土そのものか焼成温度の不均一
萩焼は釉薬が分厚くて、中の粘土が均一でなくても誤魔化せます。観光客用に手抜きで作った茶椀だと思うのですが、これが偶然にも中身の無い人間を教えてくれる事になります。この茶椀が欠けたのは都合三度。上から物が落ちてきたり、洗っていて手が滑ったりで、他の器に衝突して縁が破損。最近(昨秋)も上から丼が落ちて破損したばかりです。
この茶椀が破損する度に、SNSのメンバーが牙を剥いて反抗してきます。釉薬のようなきれいな顔をして、心の中は斑の粘土のように黒ずんだ者が、エクソシストに耐えられなくなって本性を剥き出しにしてくるのです。茶椀が欠けて中の斑の粘土が見える度に、僕はそろそろ裏切り者が出ると待ち構えているのです。
前にも書きましたが、映画のエクソシスト(悪魔祓い)のように、十字架を手にして悪魔に対峙するのは褒められたものではありません。もっとスマートに、エクソシストしていると気が付かれないようにやるのが良いのです。
スピーカーを作ったり絵を描いたりして、徐々に囲いを狭くして悪霊を追い込む。昨年6月の名古屋試聴会後に、古いメンバー二人がユダとなりましたが、どちらもコスモスのジークレーを購入しない=絵を恐れるという共通点がありました。心の綺麗な人には美しく見える絵が、心が醜いと恐怖の絵となるのです。
僕の絵のガラスを割ったのも二人でしたが、リンゴの絵のガラスが割れたのは、悪霊が逃げて行く時に悪さをしたからです。エクソシストが成功した知らせのようなものです。しかし、老梅のガラスが割れた方は、逆に悪霊からの挑戦状というか、地獄から逃がさない宣言のようなものでした。梅は、神がアダムに諭した「食べること毋(なかれ)」の木ですから、描かれた梅の木に蛇身を絡みつかせたのでしょう。蛇身は邪心で邪神。
サタンの出現を予言する茶椀も、相当にダメージがあります。何せ、ヒヨコの描かれたチキンラーメンドンブリが落ちてきたこともあるからです。この時はヒヨコがいなくなりました。
2番目に欠けた時は、吉の字のように「土の口」で黒い土が見えた。真っ黒な心の持ち主が、萩焼のように分厚い化粧の仮面を脱がされた時です。そして、最近のは茶椀全体にヒビが入るほどの欠け方。これは、予言する茶椀としては御役御免で、これ以上は仕事(予言)をする機会がないということだと思います。
神饌に供する器は古くは素焼きですけど、これは心を隠さないという意味で当然だと思います。白い神饌器は白釉がかけられたものではなく、磁器なので中の粘土も白なのです。陶器の素焼きと、磁器の白の違いということです。茶椀の欠けたところは金で接(つ)ぐとか、繕うのが良いのですけど、素人には難しいですね。
エフライム工房 平御幸