試聴会の時に話したのですが、英語のComeを説明できる唯一のものは日本語なのです。というか、ヨーロッパの言葉はは古代イスラエルの言葉が変形したものが多く、元祖イスラエルの日本に言語的ルーツがあるのも当然なのです。
タイトルにあるように、Comeはどうしてスペルに従ってコメと読まないで、わざわざ捻くれたカムと読むのでしょう?イギリス人やアメリカ人が捻くれているからという答えは、合っているけれどなしですお (`・ω・´)。
この問いの答えは、「米を噛む」が正解。米は噛むものだから、ここからカムと発音されるようになったのです。その証拠に、「来た」を意味するケイム(Came)は、古代エジプトやイスラエルの双数である「イム」が使われ、器を意味する笥(け)が二つとなっています。要するに、客人や旦那が来て、ご飯を盛る器が2個となるのがケイム。昔は男が女の所に通う通婚で説明が付くのです。
米は、十字架(イエスの磔刑の時代)を挟んで、紀元前の神ヤハウェ(下の八)と、紀元後の神イエス(上の八)が、鏡合わせで同じものである事を表しています。だから、イエスの再臨を意味する二つ目の十字架が上に重なれば「来」の字となります。また、まだ再臨のイエス(上の八)が来ない時代は「未(いまだ)」の字で、イエスは神の子羊なので「未(ひつじ)」とも読まれるのです。
ヒツジとは、辻の十字架に太陽神イエスを表す日を合わせたもので、重ねると「早い」になります。イエスはすぐに来るという意味です。また、辻の字は、十字架の道でイエスの道を指します。
では、米はどうしてコメなのかと更に追求すると、これは籠目と書いてカゴメではなくコメと読むところから来ているのです。英語のCの字は、籠の表意文字で、籠を縦にした形です。古代エジプトでも籠はコと言います。
カゴメカゴメのかごめの歌は、イエスの再臨を告げる隠し歌。だから、「籠=イエス」でもあるのです。イエスは龍神でもあるので、茨の草冠に龍で籠。ちなみに、カゴと読む場合は「五の形」という意味で五芒星。五芒星も十字型が交差しているでしょう。ここから十文字で構成されたゲームが碁となったのです。
このように、二つ目の十字架に託されたイエスが「来る」という願い。これが十字架をクルスと呼ぶ理由なのです。「来るイエス」が縮まってクルス。イエスが苦労されたから、訛ってクロス。
米は神だから、古代日本でも神と書いて「カム」と読みました。
柿本人麻呂 『万葉集』第一巻39
山川毛 因而奉流 神長柄 多藝津河内尓 船出為加母
やまかはも よりてつかふる かむながら たぎつかふちに ふなでせすかも
ご飯の米は一粒残さず食べること。レストランであろうが吉野家の牛丼であろうが、バイキングで多く盛って残すのは徳と霊格を下げる行為です。旅館で中居さんにお代わりを勧められたら、残さないように「わんずか」と言いましょう。九州では通じないみたいですが。
|_|・ω・`) こそ〜〜 祝! 日立リヴァーレ 佐藤あり紗のここが凄い! 5000回再生
http://youtu.be/88RZ5NgJ3rg
エフライム工房 平御幸
タイトルにあるように、Comeはどうしてスペルに従ってコメと読まないで、わざわざ捻くれたカムと読むのでしょう?イギリス人やアメリカ人が捻くれているからという答えは、合っているけれどなしですお (`・ω・´)。
この問いの答えは、「米を噛む」が正解。米は噛むものだから、ここからカムと発音されるようになったのです。その証拠に、「来た」を意味するケイム(Came)は、古代エジプトやイスラエルの双数である「イム」が使われ、器を意味する笥(け)が二つとなっています。要するに、客人や旦那が来て、ご飯を盛る器が2個となるのがケイム。昔は男が女の所に通う通婚で説明が付くのです。
米は、十字架(イエスの磔刑の時代)を挟んで、紀元前の神ヤハウェ(下の八)と、紀元後の神イエス(上の八)が、鏡合わせで同じものである事を表しています。だから、イエスの再臨を意味する二つ目の十字架が上に重なれば「来」の字となります。また、まだ再臨のイエス(上の八)が来ない時代は「未(いまだ)」の字で、イエスは神の子羊なので「未(ひつじ)」とも読まれるのです。
ヒツジとは、辻の十字架に太陽神イエスを表す日を合わせたもので、重ねると「早い」になります。イエスはすぐに来るという意味です。また、辻の字は、十字架の道でイエスの道を指します。
では、米はどうしてコメなのかと更に追求すると、これは籠目と書いてカゴメではなくコメと読むところから来ているのです。英語のCの字は、籠の表意文字で、籠を縦にした形です。古代エジプトでも籠はコと言います。
カゴメカゴメのかごめの歌は、イエスの再臨を告げる隠し歌。だから、「籠=イエス」でもあるのです。イエスは龍神でもあるので、茨の草冠に龍で籠。ちなみに、カゴと読む場合は「五の形」という意味で五芒星。五芒星も十字型が交差しているでしょう。ここから十文字で構成されたゲームが碁となったのです。
このように、二つ目の十字架に託されたイエスが「来る」という願い。これが十字架をクルスと呼ぶ理由なのです。「来るイエス」が縮まってクルス。イエスが苦労されたから、訛ってクロス。
米は神だから、古代日本でも神と書いて「カム」と読みました。
柿本人麻呂 『万葉集』第一巻39
山川毛 因而奉流 神長柄 多藝津河内尓 船出為加母
やまかはも よりてつかふる かむながら たぎつかふちに ふなでせすかも
ご飯の米は一粒残さず食べること。レストランであろうが吉野家の牛丼であろうが、バイキングで多く盛って残すのは徳と霊格を下げる行為です。旅館で中居さんにお代わりを勧められたら、残さないように「わんずか」と言いましょう。九州では通じないみたいですが。
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