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Channel: 平御幸(Miyuki.Taira)の鳥瞰図
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クイズの答え〜卍の奥義

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 メロンを乗っけた20センチバックロードホーンのユニットを紹介したら、ユニットのコーン紙に使われたアラミド繊維をパクった韓国企業がアメリカで排除されました。ハサミでも切れないアラミド繊維の別名はケブラー。防弾チョッキに使われるみたいですね。

 クイズの方は、およそ80%程度まで正解を出したのは常連ではなく一見さん。常連は情けないから反省汁と言いたいですが、ヒントは山ほど出しましたから80%でも実質30点です。

秦氏→端→一本の糸の両端→始めと終わり

 こんな簡単な問題に頭を悩ますということは、頭の使い方がどこかで間違っているのです。学校で、難しく考えるという訓練でもしているのでしょうか?日本人の子供も親も街頭インタビューで頓珍漢な答えが多いですが、これは「自分はこう感じる」、あるいは「自分はこう考える」という主張の訓練がなおざりにされてきた結果です。主張する日本人は邪魔なので、反日の組織が時間をかけて洗脳してきたのです。その結果、「何でも難しく考える」という異様な脳を持った日本人が増えたのです。

 イエスの言葉である「アルパでありオメガである」は、ギリシャ文字でαとΩで、どちらも一筆書きです。一筆書きはレオナルド・ダ・ヴィンチも描いているように、神秘的な力があるとされているのです。しかし、一筆書きの力の源は、イエスが着ていた「一本の糸で編まれた」下着から来ているのです。

 「アルパでありオメガである」は「始めであり終わりである」と訳されます。この場合、「始」は「女+ムロ」で、古代史 第五部第4章で書いているように、敦煌の景教経典で室女と書かれるマリアを指します。藤原不比等の妻の一人である橘三千代は、美努王(みぬおう)の妻だったときに牟婁女王(むろおおきみ)を生んでいます(同7章)。ムロはマリアを指すのです。

 このように、「始めである」という言葉にはマリアが隠されていたからこそ、マタイ伝の最初にマリアが登場するのです。聖書は改竄されていると声高に主張する教会や人がいますが、神はそれを織り込んで世に著したのです。聖書の本当に大事な奥義は日本語でなくては理解できない。またそれは、僕にしか出来ない技なのです。

 『イザヤ書』に「乙女が救世主を生む」と預言されています。処女ではありません。乙女です。だから、これが始めなのです。ところが、「初め」と書くと意味が違ってきます。「初」は「衣+刀」で、イエスが脱がされた、四つに切り分けられた上着となるのです。これが雛形となり、現在の世界は「アジア、アフリカ、ヨーロッパ、南北アメリカ」の四つになっているのです。イエスの着物を分けたことで、ワンワールドが否定されたのです。

 「終」の方は「糸+冬」で、意味は「織り留めの結びの糸の形」です。「初」も「終」も、衣と糸で秦氏の織物に繋がるのです。秦氏そのものは、ユダ族に付帯した祭司ですからレビ族です。しかし、付帯した部族名を名乗る事が多いのでユダ族とされているのです。

 僕の母の姉の嫁ぎ先が山端姓で、青森で天理教の教会長なのですが、子供がモーセのように吃(ども)りなので、モーセ系のレビ族だと思います。山端という名前が身近にあったので、僕は比較的楽に一本の糸から端を連想できたのです。スワローズの川端も畠山も秦氏の末裔。スワローズに足りないのは救世主ですね。

 端(はし)の同音異字には橋や愛(はし)があり、ハシという言葉に「二つの間をつなぐもの」という意味があると分かります。イエスが着ていた下着が編まれた一本の糸だったことで、これがインターネットのネットワークとなっているのです。ネットワークはワンワールドだけど、世界は四つに分かれているのです。四つに分けた兵士は偉大かも。

 ということで、一本の糸が結ばれれば、結び目は「万」の字になり、万(よろず)で表されるイエスとなるのです(古代史 第五部第1章)。卍はこの変化形に過ぎず、「秦→旗→幡(はた、ばん、まん)→万」という構図にもなっているのです。

 一本の糸のままだと両端があり、その両端のどちらも「始めであり終わりであり」ですが、結ばれることでアンフィニ(∞=永遠)となるのです。結婚は永遠だというのは実に理にかなっているのです。

     エフライム工房 平御幸

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